ラタトゥイユを作った。
明日来る来客分を作る予定だったがとある用事でお世話になる人のためにも作ろうと思い、合わせて多めに作った。つい最近初めて作ったのだけど、パンに乗せて粉チーズをかけ「ブルスケッタ」にして食べた。白ワインが合うとのことでコンビニで適当な安いワインを用意し、食べるとワインが物凄く美味しく感じた。そもそも僕はワインが苦手だった。
ワインと料理の食べ合わせのことを「マリアージュ」というそうだ。料理の得意な友人が教えてくれた。後日、別の友人とゲームセンターで遊んだ後に「少しラタトゥイユが余っているのでよかったら食べないか?」と話している中で、それとなくマリアージュの事を聞いた。・・・なんと、その友人は知っていた。失礼ながら自分はその友人の事をとてもまともな人間だと思っていなかったので余計に驚いた。
何が言いたかったかというと創作に携わる人間はアンテナを広く張っていなければならないのだなぁと痛感した。
いや、そうじゃない、とても動揺した。何で知っているんだと、これでも自分はなるべくいろんなことに少しでも興味が持てれば、その持った分くらいは踏み込もうという気概でいるつもりだ。しかしそれは当たり前なのだ。僕は「自分の都合のいい程度」にしか踏み込めない。
だからこそと思って、些細な出来事でも何かヒントになるのでは!?と普段意気込んでいるが、実際自分の記憶力は良くない。記憶力もそうだが「引き出し」を自由に開け閉めすることが上手くできないことも最近気づいた。もっと細かくメモをとり、タグをつけ、しっかりと意識をしてさらに、メモをちゃんと見ようとする習慣までつけて日常を過ごさないとおそらく僕の脳みその劣化は加速の一途を辿る。そういえば唐突に思い出したが今日はゴミの日だ。
少し余ったラタトゥイユは腐っていた。